大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和43年(ワ)678号 判決

原告

平岡民子

原告

平岡一孝

右法定代理人親権者母

平岡民子

右原告両名訴訟代理人

宗政美三

被告

岡本光司

右訴訟代理人

開原真弓

被告

宗教法人一言

右代表者

岡本光司

右被告両名訴訟代理人

白川彪夫

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  被告岡本光司は原告らに対し別紙第二目録記載の各建物を収去し別紙第一目録記載の土地を明渡し、且つ本件訴状送達の翌日から右土地明渡ずみに至るまで一カ月金一九万三、五〇〇円の割合による金員を支払え。

2  被告宗教法人一言は原告らに対し別紙第二目録(八)記載の建物から退去し別紙第一目録記載の土地中右建物敷地部分の土地を明渡せ。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言。

二、被告ら

主文同旨。

第二  請求の原因

一、別紙第一目録記載の四筆の土地は換地処分(昭和四四年七月)の結果従前の左記土地にかわることとなつたものである。(別紙第一目録記載の土地を以下単に本件土地、特にその従前の土地を指示するとき本件土地(換地前)又は本件従前の土地と略称することにする。)

広島市舟入川口町九ノ割五三三番地の三

畑 二畝二三歩

同所 五三五番地の一 畑 三畝一九歩

同所 五三五番地の二 畑 三畝一九歩

同所 五三五番地の三 宅地

同所 四七坪四合三勺

同所 五三九番地の四 畑 二畝二二歩

同所 五三九番地の五 畑 二畝二二歩

二、本件土地は原告らの所有(共有)である。

三、被告岡本光司は本件土地上に別紙第二目録(一)ないし(八)記載の各建物を所有し、被告宗教法人一言は右建物中(八)記載の建物を使用占有していずれも本件土地を占有している。

四、よつて原告らは被告宗教法人一言に対し右占有建物から退去し本件土地中右建物敷地部分の土地を明渡すこと、被告岡本光司に対し別紙第二目録記載の各建物を収去して本件土地を明渡すことと、本件訴状送達の翌日から右土地明渡ずみに至るまで一カ月金一九万三、五〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

第三  請求の原因に対する認否

二 認める。

三 認める。

四 争う。

第四  抗弁

被告岡本光司は本件土地上に賃借を有する。その取得原因は次のとおりである。

一、賃貸借契約

1  本件土地は平岡康孝(原告らの被相続人)の祖父平岡吉次郎の遺産であつて代々の相続人を経て原告らにまで至つたものである。

ところで右吉次郎は大正七年九月に死亡したがその家督相続人才一郎がアメリカに在住していたので本件土地(換地前)の管理支配はもつぱら右吉次郎の死後は同人の妻マツがこれをなし、同女は昭和三一年二月死亡するまで本件土地(換地前)の管理を続けていた。そして在米の才一郎ら所有者もまたこれを承認し、同女に管理をまかせていた。

2  被告岡本光司は昭和二二年一月一〇日頃右マツから本件土地(換地前)を含む土地四〇〇坪を賃料一カ月四〇〇円、期間二〇年と定めて賃借した。

二、時効による賃借権取得

被告岡本光司は昭和二二年一月一〇日頃右の如く平岡マツと契約して同日頃本件土地の引渡を受け、本件土地を賃借したものと信じ、爾来平穏且つ公然に本件土地の占有を賃料を支払いながら続けて今日に至つた。よつて昭和三二年一月一〇日或いは遅くとも昭和四二年一月一〇日頃には本件土地の賃借権を時効により取得した。

第五  抗弁に対する認否

全部否認する。

仮りに平岡マツが被告ら主張の如く被告岡本に対し本件土地(換地前)を昭和二二年一月頃賃貸したとしても、右本件従前の土地は当時大部分畑であつたから、当時施行されていた農地調整法により地方長官等の承認がなければ右賃貸借は効力を生じえぬ筈である。

第六  再抗弁

一、仮りに平岡マツが被告岡本に対し本件土地(換地前)を賃貸したとしても、同人に対して所有者の平岡才一郎なり平岡康孝が賃貸を指示したり委任した事実はないから、管理人としての賃貸であつて、民法六〇二条の五年を超えては賃貸できないものである。そこで右賃貸借が五年毎に更新されているとしても、昭和四一年一月二一日頃右平岡康孝が訴外松島良雄を介し内容証明郵便をもつて被告岡本に対し明渡の要求を行なつているから、昭和四二年一月一〇日をもつて賃貸借契約は終了した。

二、仮りに被告岡本が本件従前の土地に賃借権を有していたとしても、右土地に対しては広島市の特別都市計画事業によつて本件土地が仮換地に指定され、ついでそれがそのまま換地処分により本換地となつたものである。かかる場合従前の土地の賃借人は土地区画整理施行者に対し賃借権の権利申告をし、施行者から仮換地について使用範囲の指定を受けないかぎり、換地の使用権限はなく、結局賃借権を失うというのが判例である。就中本件従前の土地の賃借は一部の土地の賃貸借であるから尚更そうである。しかるに被告岡本は右権利申告も指定も受けていない。

三、被告ら主張の賃貸借は期間二〇年であるから、昭和四二年一月一〇日期間満了により終了した。原告らの前主平岡康孝は右期間満了の前後に被告岡本に対し本件土地の返還を要求しているから、借地法六条の法定更新はない。而して原告らはすでに日本に一旦帰つているが、近く亡康孝の母平岡綏子ともども本格的に帰国し、本件土地に居住し或いは本件土地を利用して生計を立てる予定なので自己使用の必要がある。

第七  再抗弁に対する認否

一、昭和四一年一月二一日附書面で土地明渡の要求を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。仮りに本件賃貸借が無権限者による賃貸借としても、借地法第二条、第一一条、第六条の適用が排除される理由はない。更新拒絶には正当事由が必要である。

二、被告岡本が本件従前の土地に対して有した賃借権が権利不申告の結果消滅したとの原告らの主張は争う。本件の場合はいわゆる現地換地の場合であり建物も従前のまま存続し、換地処分も終了しているのであるから右行政処分による影響はないというべきである。

三、賃貸借の終了は争う。

理由

一請求原因第一項の事実は被告らの明らかに争そわぬところ、同第二、第三項の事実はいづれも被告らの自白するところである。

二そこで被告らの抗弁(賃借権の主張)について判断する。

〈証拠〉によると次の諸事実が認められる。

(1)  原告方(旧平岡家)の身分関係

才一郎は平岡吉次郎の長男であるが、明治年間に渡米して以来、カリフォルニア州に永住し、大正一二、三年頃一時帰国した以外殆んど同地で過し、昭和一七年頃同地で死亡した。尤も才一郎死亡の事実がマツ、吉太郎ら故国の者にわかつたのは戦後昭和二一年頃になつてのことである。才一郎の一子康孝はアメリカで生れ(日米二重国籍)、昭和四五年九月同地で死亡した。生存中昭和三七年頃八カ月位日本をおとずれたことがあつたが、生活の本拠を日本に移したことはない。

(2)  本件土地(換地前)はもと平岡吉次郎の所有であつたが同人は大正七年頃死亡したので在米の才一郎がこれを相続し、昭和一七年頃同人死亡につき康孝が相続により右所有権を取得し、昭和四五年同人が死亡したので更に原告らが相続によりその所有権を取得した(現に原告らの所有に属している事実は当事者間に争いがない)。

(3)  ただし才一郎にしても康孝にしても太平洋戦争の前後を通じ終始米国に居住し、殊に戦時中は日本との交信も途絶していたくらいであるから本件土地(換地前)の管理支配等について特段の指示、干渉等を加えたことはなく、吉次郎の死後昭和三七年康孝が来日するまで本件土地の事実上の管理支配はもつぱらマツ、品次郎、吉次郎、才二郎らがこれにあたつていた。すなわち品次郎の家族は昭和一二、三年頃からマツと同居し当時畑であつた本件土地(換地前)を耕作し、昭和一四年頃その一部を訴外伊勢坊善次郎に建物建築用地として賃貸し、終戦を迎え、原爆で焼野原となつた本件土地(換地前)を次に述べる如く被告岡本に賃貸し、昭和三七年一一月まで地代を収受して自らの生計に充てていた。こうした本件土地の管理状態を品次郎、吉太郎らからアメリカに報告してやつたこともなければ、アメリカから問合せがあつたこともない。むしろマツが生前本件土地は才二郎につがせるといつていたり、吉太郎が本件土地や附近の土地を自己の所有地として人に貸したりしている(甲第一号証、乙第三号証参照)ところからみても、また吉太郎、才二郎の証言自体からみても、マツにしても品次郎、吉太郎らにしても他人の土地を管理しているといつた意識はうすく、アメリカに住みついた才一郎やその子孫が本件土地に権利を主張することは恐らくあるまいとの安心からか、さながら本件土地の所有者の如くその支配をほしいままにしていたことが窺われる。因みに、吉太郎の証言によれば、吉太郎は昭和二一年頃綏子から母マツをみてもらつているのだから本件土地等の財産は吉太郎方の自由にしてよいという趣旨の手紙を受取つたこともあるという。

(4)  被告岡本は昭和二一年末頃五日市から広島市内への進出を希望し適当な土地を物色中たまたま訴外中山直人の紹介でマツを知り、マツ、吉太郎両名と話合つて本件土地(換地前)を含む土地約四三〇坪を借受けることとし、昭和二二年一月一〇日頃右マツ、吉太郎両名との間に右土地を賃料四〇〇円期間二〇年の約定で賃借する旨の契約を結び、吉太郎との間でその旨の契約書(乙第三号証)をかわした。そうしてその頃被告岡本は右土地全部の引渡を受け爾来少しづつ本件土地上に建物を立て本件土地を宅地として使用占有して今日に至つた。なおこの間地代(途中何回か値上して昭和三七年からは月五、〇〇〇円)は昭和三七年一一月分までは吉太郎に直接支払い、同年一二月以後は同人が賃料を受取らなくなつたので同人宛に供託した今日に及んでいる。

(5)  因みに本件土地が昭和二一、二年頃登記簿上何人の所有名義となつていたか、証拠上必ずしも明瞭ではないが、康孝名義となつたのが昭和三七年であるから、当時は吉次郎か又は才一郎の名義のまま残つていたものと推測される。

かように認められる。特に右認定を妨げるに足る証拠はない。右の如き事態の推移からして判断するに、まず才一郎にしても康孝にしても大正七年以後長期にわたり本件土地(換地前)の管理方法等について一切干渉した痕跡はないのであるから、本件土地(換地前)の処分はともかく少くとも管理については暗黙裡にマツ、品次郎、吉太郎ら故郷の者に一任していたというべく、右マツ、吉太郎から本件土地(換地前)を賃借した被告岡本はまつたくの無権限者から土地を賃借したわけではない。殊に被告岡本の立場からすればマツらが本件土地(換地前)の管理権のみならず賃貸権を含む処分権を持つていると思つたとしても無理からぬ事情にあつたと思われる。しかしながら右賃貸借契約当時本件土地(換地前)の現況が原爆による被害で荒廃していたとしても、その以前まで訴外伊勢坊善次郎に賃貸していた以外の部分は現実に畑として品次郎が耕作し、地目も畑であつたのであるから、かような農地部分については少なくとも被告岡本が右マツ、吉太郎と賃貸借契約を締結したからといつて、それで直ちに被告岡本が賃借権を取得したとは断じ難い。けだし昭和二二年一月一〇日当時施行されていた農地調整法第五条によれば農地の賃貸借は当事者において地方長官又は市町村長の認定を受けないときはその効力を生じない旨規定されており、本件においてはそのような認定のあつた形跡がないからである。しかしながら被告岡本は右契約と同時に本件土地(換地前)の引渡を受け右土地を有効に賃借し得たと信じ爾来本件土地を宅地として使用し吉太郎に対し昭和三七年末まで直接に約定の賃料を支払い、その後は同人宛に供託して今日に及んだのであるから、たとえ被告岡本が本件土地(換地前)を有効に賃借しえたと信じたことに過失があるとしても、昭和四二年一月一〇日には被告岡本は本件土地の賃借権を時効により取得したことになる。尤も〈証拠〉によれば、平岡康孝は昭和三七年日本に帰つて始めて本件土地が他人に貸されていることを知り吉太郎に対し本件土地は自分の所有なのだから戻して貰うようにしてもらいたい旨かけあうと共に別に訴外松島良雄に本件土地の管理を依頼したこと、そこで同年末頃吉太郎は被告岡本に対しアメリカから所有者が帰つてきたことを告げると共に以後本件土地の問題は右松島と交渉してもらいたい旨言い、爾後の地代受取りをやめたこと、なおその際被告岡本は本件土地外の借地約五〇坪を吉太郎に返還したこと、松島良雄は昭和四一年一月二一日被告岡本に対し内容証明郵便をもつて本件土地を明渡すよう催告し、同郵便はその頃被告岡本に到達したこと(この催告の事実は被告らの自認するところである)の諸事実が認められるが、これらの事実はいづれもそれだけでは時効の進行を中断させる事由とはならないから前記結論を左右しない。よつて被告らの賃借権の主張は理由がある。

三次に原告らの再抗弁について判断する。

(一)  まず原告らはマツ、吉太郎らの賃貸は民法六〇二条いわゆる処分の権限を有しない者の賃貸であるから、同条により期間は五年を超えないものであると主張する。前段説示のごとく当裁判所もいちおうマツらが本件土地処分の権限はこれを有しないものと解しはしたが(尤もその場合でも表見代理が成立するときは五年を超える期間の賃貸借も成立し得る)、同人らがした賃貸借契約によつて直ちに被告岡本が本件土地の賃借権を取得したと解したわけではない。そこで右再抗弁に対する判断には立入る必要がない。しかしあえなて蛇足を加えるならば、たとえ原告らのいう期間五年の賃貸借であつても借地法六条の適用は排斥されないから、右の期限がきて更新を拒絶してもただそれだけでは賃貸借は終了しない。その更新拒絶に正当事由が必要であるが、本件においてその証明が十分でないこと後述のとおりである。

(二)  次に原告らは被告岡本の取得した賃借権は本件従前の土地についてのものであるところ、右土地が仮換地となつた時に権利申告も使用範囲の指定も受けなかつたから、賃借権を喪失したと主張する。これについてみるに、〈証拠〉によれば本件は従前の土地に対し単に減歩がなされただけのいわゆる原地仮換地の指定がありそれがそのまま換地として換地処分がなされた場合であり、されば被告岡本の占有部分も若干減りはしても仮換地前と後で格別の移動はなかつたのであり、区画整理事業が終了したのが昭和四二年四月頃というから、前認定の被告岡本が時効により賃借権を取得した時点=昭和四二年一月一〇日はその直前、本件土地が仮換地中のことと解される。即ち被告岡本は本件従前の土地について賃借権を有していたのではなく、換地について仮換地指定後に権利を取得したのである。このような場合時効取得者は特段の申告等を要せず換地自体について権利を得、換地処分後も右換地について権利を有しうるものと解する。原告らの主張は理由がない。

(三)  次に原告は被告岡本の賃借権は昭和四二年一月一〇日二〇年の期間満了により終了したと主張する。しかし本件は被告岡本が右期限後も本件土地の使用を継続し且つ土地上に建物のある場合であるから、原告の更新拒絶には正当事由が必要であるところ、原告平岡民子本人尋問の結果は前認定の如き事態の推移その他本件弁論の全趣旨と対比すると、未だもつて右正当事由の存在を肯認するに至らず、他にこれを認めるに足る証拠もない。よつてこの原告らの主張も理由がない。

四以上のとおりであるから、原告の本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民訴八九条九三条を適用して主文のとおり判決する。

(海老澤美廣)

目録、図面省略

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例